今月末に大阪で開かれた緩和ケアとヨーガ良法をテーマにした学会へ参加してきました
超高齢化社会に突入している日本
コロナ間でも充分に皆さん周知されたと思いますが今後の医療機関では人手不足やシステムパンクによる二次被害も多くありました。
「時どき入院、ほぼ在宅」という今後ますます医療機関に頼ることが必要な時にケアが受けられるか?という大きな問題に直面しています。
がんケア患者しか緩和ケアを受けられないと誤解されてるホスピスは実際は全ての痛みを伴う患者が利用できることも周知されてないという現実もあるようです。
肉体的痛みを薬物投与で取り除いた後の心のケアに寄り添うことが大きなテーマとなっているホスピス。
どのように限りある余生を生きぬくかという自分への問いかけ、残される家族の心のケアにサポートできる可能性としてヨーガ療法は最後まで寄り添うことができるお仕事なのだと思いました。
実際ホスピスでヨーガ療法されている方のガイドの言葉に感銘受けました
それと同時に
ホスピスや病院にお世話にならないようやはり自分で毎日セルフケアする基本に立ち返ることも忘れてはなりませんね。
その領域をお伝えすることを
私はずっと続けているんだなと自覚させていただきました
5000年前に書かれたYOGAの聖典の構造論として人間五蔵説というものがあります
人間には5つの鞘があり
食物鞘(肉体)、生気鞘(呼吸)、意思鞘(感情、感覚)、理智鞘(判断)、歓喜鞘(記憶袋)
さらに
最も深いところに真我(アートマン)が
常に純粋意識として存在すると伝えられています
この歓喜鞘をクリーニングするツール
瞑想が本来変わることのない真我(内にある賢い智慧、内なる平和)と
繋がって肉体を卒業していくと考えるとこの歓喜鞘を見つめるために
ヨーガ療法士は一期一会で
尊い時間を共有させてもらいます
西洋ではこの領域の整理整頓として
ディグニティセラピーというツールが提案されていました。
亡くなることとは
自分ごとではなく
あなたがどう生きて、
幕を閉じたかということは
残された家族や友人、周りの人間へも
影響するということです。
亡くなり方を思うことは
生きることを問い続けること。
大阪学会後の奈良の旅。
思いがけず参拝することとなった
生駒にある「宝山寺」
入った途端インドの香りがたくさん。
牛さん、サンスクリット語
そして歓喜天という正に
歓喜鞘のクリーニング部屋があり、
その頭上には崖山に鎮座されてる
真我が見ることができました
私も歓喜鞘のクリーニングの旅が続き
両親の実家鳥取へ移動
両家を改らたな視点で訪れることになりこれまでずっと在ったものやひとたちが心の眼が変化すると全く違う意味づけとなり上書きされたような感覚になんどもおちいりました。
なんだか軽やかな気持ちで鳥取をいくつか旅
親友である鳥取在住の友人のルーツをおたがい行き来するという前代未聞の事態
父親同士も初めましてという素晴らしい時間となりました。
その昔友人のルーツは平家
そう源氏と平家の平家村集落へ。
素晴らしい2024年の旅
濃厚なメッセージを胸に
大きなご先祖様の応援エネルギーを
受取り
しっかりと大いなる調和を心に
YOGAというツールを巡らせていきたいと誓った私です
ありがとうございます